【アイサポ防災コラム】その10:阪神・淡路大震災から学べ
新しい年を迎えて、今年こそ自然災害が起きないことを祈願したしだいです。
さて24年前の1995年1月17日午前5時46分。淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3、最大震度7の兵庫県南部地震が発生しました。10数秒の激しい揺れで6434人の尊い命が奪われました。
この地震で甚大な被害が出たので一般的には阪神・淡路大震災と呼ばれています。
当時、マスコミの現場にいた私は、直後から何度も被災地に入り、取材と調査研究を続けてきました。震災後10年の2005年に神戸市で開かれた国連防災会議にパネリストとして参加したのが、つい先日のように思い出されます。
この地震は都市直下型の地震で、明け方の地震であった為、自宅で亡くなった方が殆どでした。
身体障害者の死亡の割合は健常者の倍以上でした。全体の90%は瞬間死でしたが健常者と障害者との差はありませんでした。どこで亡くなったかは建物の下敷きが83.3%でした。耐震性の低い古い木造住宅は、揺れ始めて8秒位で潰れてしまったと言われています。
神戸市民の多くは神戸には地震はこないと信じていて、防災意識は無いに等しい状況でした。
地震防災で一番重要なのは、家の耐震化と家具の固定です。非常食や備蓄食料は命があってはじめて役に立つ物です。しかし被災後に食料が無ければ大変な思いをすることも確かですが…。
私が神戸市視覚障害者福祉会の協力で、被災した全盲の方々に集まって頂いてインタビューしましたが、皆さんに共通していたのは、家族や近所の人に倒れた家具の下や瓦礫の中から助け出されたことです。普段お世話になっている福祉委員、民生委員、ヘルパーさんも皆同じ被災者になったため、殆どは近所の人により助け出されました。淡路島の北淡町(ほくだんちょう)では、警察や自衛隊が来る前に近所の人などに全員が潰れた家の中から救助されています。
阪神淡路大震災は激しい揺れの災害。東日本大震災は大津波の災害でした。今心配されている南海トラフ巨大地震は、足下からの激しい揺れと、その直後に大津波が襲ってくる超広域の大災害が想定されます。国内は勿論、世界中から救援隊が来てくれると思いますが、直ぐには到着しません。大地震発生から2~3日は、自助・共助。地域の中のことは地域の中で解決しなければなりません。まずは耐震化や家具固定など、我が家でやらなければならないことを1つ1つ解決して下さい。
そして家族や近所の人が頼りになりますので、普段からのコミュニケーションが大切です。
2月16日シズウエルの「いーらサロン」で自然災害と防災力アップの話をさせて頂きます。
是非お越し下さい。会場でお会いしましょう。
(文:地震防災アドバイザー 郷 隆志)